こんにちは、YAKUMOです。
南部の歴史を語る中で外せない事といえば、○○制度と原住民居住区でしょうか。
小学3年生の娘がちょうど学校で、地域の歴史の授業として習い始めたところです。実は私が住む地域は独特のあの文化が築かれた地域なんです。
この南部の海沿いはヨーロッパからの船の到着場所として長く利用されていました。そのせいでこの島界隈に住む人はいまだに80パーセント以上がヨーロッパからの移民1世2世です。
それよりも昔々、この地域はアメリカでの有数なコメの産地として知られており、多くのアフリカ系の人たちが働いていました。
彼らが故郷の文化を残すことと、アメリカ人にわからない言葉で会話をする目的のために、独自の言語を作り出したんです。
現在でもアメリカでは特有の呼び名で知られています。
多くは○○解放後にニューヨークに界隈に移住したとされていますが、我が家の地域では解放後、主人から土地を譲り受けて、そのままこの地でエビ漁やコメ農家として住み続けている人がたくさんいるんです。地元でも有数のエビ業者はほとんどその出身の方なんだとか。どうやら、この地域の主人たちは(アフリカ系の主人もいたようです)土地と財産の一部を譲ることで働き手を引き留めていたようなんですね。現在この地元では○○人といえば土地持ちで裕福。というイメージが強い気がします。
この地域では、○○文化の集まりや音楽祭、文化観光ツアーなんてのもあり、非常に興味深い地元の歴史の一部なんです。独特の料理もたくさんあってフェスティバルなどでは目玉店の一つになります。あの時代が負のイメージだった時代もあったそうですが、現在の世代ではそういったイメージも薄れてきているのだと思います。
娘の担任の先生も実はおばあさんがそうだったらしく、授業中にその言葉で話してくれた!!と娘が興奮して話してくれました。子供たちは負のイメージより、何か特別、というところの興味を持っているように思いました。
写真は夫が地元雑誌のために撮影したもので、その人たちが地元特産の牡蠣の殻を使って建てた住居の跡地と博士と呼ばれる観光案内の男性。そしてもう一つは○○の特色をアートに取り入れている女性です。(写真に写っているのは彼女の姪っ子さんだとか)
この部屋の装飾も飾ってある絵もすべて彼女の作品なんだそうです。絵にある髪形は女性たちが以前好んで結い上げていたものらしいですよ。
次回のお休みは子供を連れてツアーに参加してみたくなりました。もし、参加したら、またブログでお知らせしますね。
応援のポチお願いします