7回目:キナバル登山は、マレーシア移住を通して一度は挑戦したかった。
登る前の心と体の鍛錬は、やはり必要と感じる。・・・・・・・・・・
南国新聞に掲載された後に、このブログでも、回ごとにご紹介しています。
写真も増え、エピソードも、多少、付け加えて書いています。備忘録です。
========= [第7回]=================
~~~~~~~~~~~~~~~タイトルーーー
~身体のきしみと心の高揚に包まれ体験しました~
あの有名なキナバル山に老体にむち打ち挑戦! !
<<若い頃の、自称「山男」は過去のことになる・・>>
キナバル山は生涯に一度は登りたかった山だ。日本では、20歳で上京
して、山の魅力に取りつかれ安アパートで1人住まい。お金が無く、装備
も十分じゃなく、単独行が多かった。
ポーターたちは、昔から荷を運び、生活を支えてきた。
それでも、休み毎に近くの山に日帰り山行に行っていた。ニッカズボンは
買えなく、少ないボロズボンを膝から切って、自分で手縫い・・ザックの
修理も度々。尾瀬散策や丹沢の簡単な沢登りからゆくゆくは重装備になり、
コッヘル、テント担いで、谷川岳縦走中心へと移行していった。
今では、登山者の荷運びでも貴重な収入源。
これなど何kgに相当するのでしょう?今回、我々もお世話になる。
・・・積み重ねた「卵」を運ぶ。・・KL市内では、オートバイ。
びっくりは、3000ⅿ級の高さで、今建設しているハウス用の
鉄板など・・1人または2人でこのように狭い山道を担いで運ぶ。
彼等は、私達とは関係なく、生活物資を一歩一歩登りながら運ぶ。
その足取りはしっかりしている。重いガスボンベだってこのように。
当時、山男の友人にザイルとカラビナのやり方を少し教わり、沢登りで
一度だけやったけど、滝に水うたれ、寒くって、もう2度とやらねェ~・・
と思ったり、でも遠く足を伸ばして、気がついたら、そのうち立山連峰、
剣岳の縦走などやっていた。それでもまだまだ普通の素人の「毛」の域。
・・・すべて過去の話になってしまったが。さて、”山を忘れていた山男”
海外マレーシアで、その復刻版、復活版、復帰版・・・出来ますかねぇ。
・・・・シェルターとして、休憩所&トイレが随所にある。
インド人の若者達は元気がいい。親しげな挨拶が飛び交う。
<登る前の心身の鍛錬。マレーシア人とKL近郊でのトレッキング?>
しかし”素人に毛が生えた”ですから、当時、危険な事もいっぱいあった。
ロック・クライミングは、最後まで怖くて出来なかったけど、谷川岳では
滑落らしき危険も経験した。・・結婚して登山をピタッとやめて以来、
・・・・・今回は、日本のあの時から、40年ぶりの本格登山となる。
・・そりゃ気が張ります。忘れかけていた青春の思いが、体を駆け抜け、
期待と不安が交錯する。心は早っても、身体は確実に衰えているから。
同行のマレーシア人友人家族達に迷惑をかけたくない一心で、夫婦2人で
1年以上前から、少しずつトレーニングを始めていた。
ワタクシのブログを読んで下さっている方は、すでにご存知でしょうが、
「ブキッ・キアラ」「グヌン・ダトゥ」「FRIM」「ブキッ・ガシンヒル」
「サガ・ヒル」・・いろいろ行きましたよ、KL近郊の山のトレッキング。
キナバル山想定のイメージトレーニングも含め、登山練習の繰り返しが
あった。日本に帰る前の時の計画も同じで、あれをやりたい、これを
やりたい・・あれを食べたい、ここにも行ってみたい・・とか。
旅や山登りは、・・行く前の準備段階で、いえ、そう思い立った瞬間
から、楽しみ、心の高揚が生まれてくるものだ。
探そうとして探せなかったのがコレ。・・それこそ「思うつぼ」。
残念ながら枯れていた「ウツボカズラ」は見つけた。でも、後で、
生き生きしてるヤツも見つけたぞ。
キナバル山では、9種類のウツボカズラがあるらしい
ターゲットはこれです、この時は、意外と小さかった。
自分は山登りのコツを何とか取り戻すも、奥さんは全くの初めての登山。
彼女にすべてを合わせなくてはなりません。中高年奥さん?は難しい。
・・あまり強く言うと嫌がるし、かといって山では甘やかせられないし、
おだて乍らも、励まし見放し?・・夫婦のキャッチボールも大事だった。
あ~ぁあれから40年、キャッチボールも、気を使う中高年夫婦の副作用。
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