ここは東京
田端から歩いて上野に出て、さらに建設中のスカイツリーまで歩いて行ってみました。
途中、ビルの上に変なものが、、、アサヒビールのビルだったかな。
私の後ろを歩いていた母娘の会話が聞こえてきました。
「あれは雲かな、泡かなー」
「いいえ、あれは”うんち”です」っと↓が言いました。
そうです”うんち”です。
突然ですが私は5月11日から6月10日まで東京におりました。
実は4月末頃から、うんちが、、”強烈な残便感”というか、下っ腹にまるで鉛が入っているかのように重く、歩くのも大変という症状が表れて。
ネットで調べてみると、なんと!大腸がんの症状と似ているではないか。
「ああ、俺もとうとう癌におかされてしまったのか」
せめて75歳くらいまでは生きたかったなあ。
既に癌と決まったような心境になってしまいました。
ネットの質問コーナーに症状を書いて大腸癌ではないでしょうか?、、、と質問したら親切な方がいて「2年前癌で亡くなった私の叔父の症状と一緒です。 一刻も早く病院で行くことをお薦めします」
ガーン! 決まりだ!
決定!あなたは立派な癌です。
スカイツリーの根元付近
家内に「実は・・」と言うと・・・
「うーん、マレーシアの病院で検査して、何でもありませんて言われても、貴方は大腸がんですと言われても、ほんとかなあって結局日本に行って検査するようになるんだから、最初から日本に行って診てもらったほうがいいわねえ。 ついでに目とか歯とか、足の静脈瘤も診てもらってきたら?」
「まあ、癌だから安心して診てもらってきて」
っと言いました。
「ああ、ありがとう」
ところで家内の父親の系統は癌の系統で耳学問で家内は癌に詳しい。
家内がそりゃ癌だなどと言うときは「そんなの癌じゃないよ」と思っている時なのです。
スカイツリーの一番下の部分、ちょっと拍子抜け・・・
そんな訳で日本行き決定
病院は何処がいいか。
これもネットで調べたところ東京の「癌、感染症センター駒込病院」が直腸癌でも結腸がんでも肛門と自立神経の温存率が90%と極めて高い。
場所も姉が住んでいるマンションから歩いて10分程度
駒込病院に決めた!
早速駒込病院に電話
5月13日外来受診の予約をすることができました。
5月11日
「エコノミーじゃ大変だからビジネス取っといたから」
「ありがとう」っと家内の計らいに感謝してJALビジネスクラスで日本へ行きました。
「なんだって?、癌かもしれない?」
「俺は大腸癌だ」と多少オーバーに言っといたので、東京でサラリーマンをやっている息子が驚いて私の東京での滞在先の姉のマンションにやってきました。
「健康診断は定期的に受けてたのかよ?」
「検査だけはちゃんと受けといてくれないと、ほんと困るよ」
いい年して何考えてんだという勢いだ。
大酒飲みのお前には言われたくないぞ!と思ったもんです。
息子は「何かと金もかかるだろうから」と20万円入の封筒を寄越しました。
大酒飲みのお前だが言いたいこと言っていいぞと思ったもんです。
健康診断にtついては、実はそのうち日本に行って健康診断をと思って、人間ドックは何処がいいかと調べていた矢先でもありましたんですが、、、
予想外の展開でありました。。。
まあ、そんないい息子に育てた覚えはないんですが。
姉の冷蔵庫を開けるとビールがあったのでとりあえず二人で飲むことに・・・・
酒を飲んだら癌によくないんじゃないかな・・・何をいまさらと・・・・・
そのうち酒豪の姉もご馳走を持ってきて・・・
(同じマンションの一階で叔父一家が食堂をやっているもんですから)
しばらくして上の階に住んでいる飲兵衛の叔父もやってきて・・・
5月16日とうとう大腸内視鏡検査
1.5リットルの下剤を飲んで腸を綺麗にして、腸の動きを抑えるとかいう注射をされていよいよ内視鏡を突っ込まれる。
さぞかし苦しいだろうと思いきや特に何も感じない。
このドクター腕がいいんだ。
「綺麗ですね、腸の中に今のところ気になるところはまったく見受けられませんね」
内視鏡検査を終えたドクターが言いました。
「は、はあ、そうですか・・・腸には自信があります・」
ホッとしたのが正直なところでしたが、癌だ、癌だと大騒ぎして日本に来た手前「何でもありませんでした」と、おめおめとマレーシアには帰れんなあ、困ったな。
その晩、さっそく家内に電話しました。
「検査が終わってだね。最終的にはね、26日に検査結果を聞きに行ってだね・・・」
「ポリープを取ったということもないんでしょ? 検査結果ってもう異常なしって分かってんじゃん。だいたい癌がそんなに急に症状が出るわけがないと思っていたわよ。 帰りはエコノミーで帰ってこいよ!」
ああ、病気になりそ・・・・・・
そんな訳で、ブログの更新も疎かになっておりました。
毎日更新を楽しみにしていただいた皆さん、本当にすみません。
内視鏡検査も終え、安心して、姉と思い出話などしながら酒など飲んで2、3日経つと、不思議なことにあれほど酷かった下っ腹の症状もいつの間にか無くなってきました。
マレーシアでは偶にビールを飲むくらいで、ほとんど酒を飲まないけれど、偶には酒でも飲んでストレス解消したほうがいいのかなあ。
通りからときどきスカイツリーが見えます。
すこぶる調子もいいし、何もせんと体が鈍るので不忍池の周りをウオーキング&軽くジョギング
ついでにアメ横をブラブラ
あちこちに”パンダ”の文字が目につきます。
ああ、上野動物園にパンダがやってきたんだっけ・・・・
その後、姉のマンションのベランダの鉢物の整理と掃除でもしようと・・・
そしてほぼ終えようとしたところ、屈んで小さな鉢を手にしよとしたら、ゴキッ イタタタ! 腰が、腰があー
ギックリ腰です。
そのまま畳の上に横になって、イテテテ、、、
結局その後3日間、這うようにトイレに行く以外は腰に湿布をして寝ておりました。
4日目にこれは病院で診てもらった方がいいかなと思い、やっとの思いでタクシーに乗り駒込病院へ。
「骨には異常ありませんね、湿布と痛み止めを出しますから安静にしていてください」
それからは姉のマンションで布団に横になって、枕元にパソコンと本を置き・・・・
古川 薫さんの「斜陽に立つ―乃木希典と児玉源太郎」 (文春文庫): これはとても面白かった。
私は司馬遼太郎さんの小説は好きではありませんが、特に「坂の上の雲」の中の乃木希典のことを「軍人としては無能の男」と 批判して
いるところはずっと気になっておりました。
古川 薫さんもこの本でこれを痛烈に批判しています。
司馬遼太郎さんは長州嫌いだったそうですからねえ。
2冊目は宮崎正弘さんの「中国分裂 七つの理由」
これは私にはちょっと突飛な内容でしたが、中国分裂への期待を込めて読むと大変面白い本でした。
家の中にばかりいると気分も滅入ってくるので、天気のいいときは傘を杖代わりにして歩いて谷中商店街に行きました。
コロッケを一個買って食べたり、あ、そうそう今川焼き!これも美味しかったですねえ。
その昔、アメリカの日本駐在大使のモンデールさんも今川焼きが大好きでお忍びで買いに行って食べたとか・・・・分かるなあ。
それと薩摩芋の天ぷら。
酒屋の前に長椅子を出して、若いお姉さんたちが生ビールを飲んでいた。
私もコロッケを食べながら一杯 うめー!
立って歩いているときはまだいいのですが椅子に座ると立ち上がるのが大変でした。
5月26日
駒込病院に大腸内視鏡検査の結果を聞きに行く日
「腸の内部には異常はまったくありません。綺麗なもんです」
「それでは私の症状はいったい何だったんでしょう?」
「ええ、それはですね。大腸という器官はとてもデリケートな器官でして、例えばですね、小学校の運動会の徒競走のとき、自分の番が来たら急にお腹が痛くなったりしますね。それほど大腸は精神的なものの影響を受け易いですね。おそらく精神的なものだったんじゃないでしょうか」
私は運動会で腹が痛くなったという記憶がないから分からないけど、東北大震災の後、テレビで故郷東北の悲惨な様子を見るたびに沈痛な思いがしたものです。
齢のせいか涙もろくもなってしまい、、、
原因はそれだったんでしょうかねえ
療養生活も約2週間
そろそろマレーシアに帰りたくなってきました。
ああ、ナシレマが食いたい。
マトンカレーも食いたい。
バンミーは毎朝食いたい!
ここらで帰る日を決めとこうと思ってJR御茶ノ水駅の近くにあるJALの営業所へ。
綺麗なおねいさんに頼んで6月10日の便に変更してもらいました。
ところで次は目の検査
コンタクトレンズを使っている息子がよく行っているという谷中商店街の近くにある浅野眼科へ。
綺麗なおねいさんがいる。
ははあ、息子のやつめ。
気さくなおじいさんドクターは「今何か見えにくいとか症状はありますか?」
「いいえ、ないんですが、定期的に検査しておこうと思いまして」
「症状がなかったらまあ異常なしですが一応診てみますか」
「おお、綺麗な目をしてますねえ」
そう言われて少し可笑しくなりましたが、白内障も緑内障の徴候もなく安心しました。
wwwwwwwwwwおわ、おわ~り~。